中小企業の法律相談

福岡の弁護士、近江法律事務所が提供している法律コラムです。

妥当性、正義実現のための「権利の濫用」

~テナントの看板撤去要求が権利の濫用であり許されないとした事例~

「確かに形式的にはそうなるのかもしれないけれど、それではどう考えても結論としておかしい」ということが、社会生活の中にはあるものです。

そのような場合は、救済方法は全くないのでしょうか。

法律の世界というのは、やはり形式論が重視されてしまうのでしょうか。

妥当性や正義といった実質論を持ち込むことはできないのでしょうか。

具体的な事案をもとに考えた方がわかりやすいでしょうから、紛争となった事例を見てみましょう(裁判例となった事例を簡略化しています)。

妥当性、正義実現のための「権利の濫用」

Aさんは、昭和39年からビルの地下1階を賃借して蕎麦屋を営んでいました。店舗が地下だったということもあり、集客のために、ビルのオーナーの承諾を得て、1階に看板やショーケースを設置しておりました。Aさんはこのようにして円満に地下で蕎麦屋を営んでいたのですが、平成22年になってビルが売却となり、新しいオーナーとなりました。すると、この新しいオーナーは、特に看板等の設置場所をどのように利用をする予定があるということもなく、1階の看板やショーケースを撤去してくれと言ってきました。Aさんとしては、地下で営業を成り立たせるには1階の看板等は必須のものだとして、撤去要請を断ります。「では、強制的に撤去してもらおう」と裁判になりました。

争点は、Aさんは新しいオーナーに対して看板等を設置する権限を主張できるのかということです。

まずは形式論を確認してみましょう。

Aさんは、元のオーナーの承諾を得ているので、地下の店舗はもちろん、看板等についてもその設置を元のオーナーには主張できるのは当然です。しかし、新しいオーナーとは契約をしたわけでもないし、看板等についての承諾を得ているものでもありません。そうなると、賃借権について登記をしていない限り(このようなテナントが賃借権の登記をしているのはむしろ稀であり、Aさんも登記などしていません。)、Aさんは新しいオーナーには、地下の店舗も看板等についてもその利用を主張できなくなるというのが原則になります。

しかし、弱い立場にある借家人等を保護するために借地借家法という法律があります。その借地借家法には、「建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物件を取得した者に対し、その効力を生ずる」という規定があります(借地借家法31条)。地下1階の店舗は「建物」であることには間違いがありませんので、この規定によってAさんは、地下1階の店舗部分については賃借権を新しいオーナーに主張することができることになります。

問題は1階の看板等です。建物とは、最高裁判所の判例で「障壁その他によって他の部分と区画され、独占的排他的支配が可能な構造・規模を有するもの」とされております。しかし、看板等の設置場所というのは、建物の外壁等の一部です。とすると、看板設置場所を借地借家法31条の「建物」ではないということになってしまいます。つまり、看板等については、借地借家法31条の適用がなく、Aさんは新しいオーナーに設置権限を主張できず、撤去に応じなくてはならないということになってしまうのです。

実際に、ほぼこのような事実関係の事例で、高等裁判所は、Aさんに看板等の撤去を命じたのです。

確かに理屈はそのとおりといっていいでしょう。しかし、結論はどうにも納得できないのではないでしょうか?

Aさんにとっては、1階の看板等は蕎麦屋を営むうえでの生命線ともいうべき存在です。一方、新しいオーナーはその場所についての具体的な利用目的もありません。それでも、「権利は権利だから」と、看板等の撤去を認めてしまっていいのでしょうか。

Aさんの不服申し立てを受け、最高裁判所は次のように判決しました。

「本件看板等は、本件建物部分における本件店舗の営業の用に供されており、本件建物部分と社会通念上一体のものとして利用されてきたということができる。上告人(Aさん)において、本件看板等を撤去せざるを得ないこととなると、本件建物周辺の繁華街の通行人らに対し本件建物部分で本件店舗を営業していることを示す手段はほぼ失われることになり、その営業の継続は著しく困難になることが明らかであって、上告人(Aさん)には本件看板等を利用する強い必要性がある。」

「また、被上告人(新しいオーナー)に本件看板等の設置箇所の利用について特に具体的な目的があることも、本件看板等が存在することにより被上告人(新しいオーナー)の本件建物の所有に具体的な支障が生じていることもうかがわれない。」

「そうすると、上記の事情の下においては、被上告人(新しいオーナー)が上告人(Aさん)に対して本件看板等の撤去を求めることは、権利の濫用に当たるというべきである」

このようにして、Aさんは看板等の撤去を免れることができました。実にバランスの取れた妥当な判決です。正義が実現されたといってもいいでしょう。

といっても、最高裁判所が超法規的にAさんを救済したということではありません。権利の濫用については、民法に堂々と「権利の濫用はこれを許さず」と規定されているのです(民法1条3項)。

もちろんこの「権利の濫用」というのがあまりに簡単に認められてしまっては、法律による規律が難しくなってしまいます。その意味で、権利の濫用が認められるのは限定的といっていいと思います。

しかし、形式論ではどうしても結論がおかしいというときは、権利の濫用ということもありうるということは覚えておいていいでしょう。権利を行使する側に立ったとしても、「形式的には権利はあるが、これを行使するのは濫用にならないか」と、ちょっと立ち止まって考えてみることは有益ではないでしょうか。

H26.2掲載

※掲載時点での法律を前提に、記事は作成されております。