中小企業の法律相談
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M&Aにおける前提条件の法的性質
前提条件とは何か
M&Aの契約書においては、「買主は、クロージング日において、以下の各号の事項が全て充足されていることを条件として、第○条第○項に定める義務を履行する」などとする条項が必ずといっていいほど入ります。これは、一般に前提条件といわれるものです。
前提条件とは、取引実行(クロージング)のために必要とされる一定の条件を定めて、それらの条件が充足されない限り、契約当事者が取引を実行しなくて済むようにするためのものです。
前提条件として規定される具体例としては、法令に基づく許認可の取得、相手方当事者の表明保証違反の不存在、MAC条項(最終契約締結後クロージングまでに、対象会社の資産、負債または事業に重大な悪影響を及ぼす変化が生じていないことを内容とするもの)、キーマン条項(対象会社の特定の重要な役職員が取引実行後も対象会社において従事することを確認させることを内容とするもの)などがあります。

前提条件の法的性質
さて、買主は、クロージング後に買主の義務の前提条件が全て充足されていないことが判明した場合、M&A代金の支払を拒むことができるでしょうか。
文言どおりに読むと、条件が充足されなければ、クロージングをしても代金を支払わなくともよいと思われるかもしれません。しかしながら、一般に、クロージング後に前提条件の不充足が判明したとして元の状態に戻すことは想定されていません。そもそもクロージング後には、会社の支配権が譲受人に移り、同日以降は譲受人の下で対象会社の経営や運営が行われることになるため、譲受前の状態に戻すことは困難です。そこで、クロージングをしたのであれば、前提条件が全て充足されていないとしても、M&Aの代金支払いを拒むことはできないと解されます。
この点について、東京地判平成25年1月28日は、前提条件が「充足されなければ、取引の完了(クロージング)をしなくてよいという取引実行条件を定めたもの」であり、前提条件が「充足されなかった場合には……本件売買契約を原状に復して取引から離脱する権利……を行使して取引から離脱するか」、前提「条件の全部又は一部を放棄してクロージングを実行するかを自由に選択できるようにしたものと解するのが相当である」と判示しています。これと同趣旨の裁判例として、東京地判平成26年2月12日、福岡地判令和6年5月30日があります。
また、上記東京地判は、停止条件(条件が充足されなければクロージングをしても代金を支払わなくともよい)とする考えについては、買主が、経営権を取得してM&A契約の目的を実現しながらも、条件を充足していないことを理由に代金の支払自体を拒むことができるとするのは、双務契約としての対価的均衡を失することになるのであって、停止条件とする合意をしたものとは認めがたいとしています。つまりは、買主が、経営権を取得したのにM&A代金を支払わなくてよいとするならば、買主は経営権(事業)を取得し、代金支払も免れるという二重の利益を得る一方で、売主は経営権を失うばかりか代金も得られないという二重の不利益を被ることになってしまうからです。
前提条件については、まとめると以下のように理解できます。すなわち、当事者は、
- 前提条件が充足されない場合には取引を実行する義務を負わない。
- しかし、前提条件が充足されない場合に、取引から離脱する権利を行使せず取引を実行(クロージング)したときには、その後は表明保証違反を理由に補償請求や損害賠償請求ができるにとどまります。このときには、買主はもはやM&A代金の支払を拒絶して取引から離脱することも、取引から離脱することなくM&A代金の支払を拒絶することも許されないことになります。
各当事者の留意点
(1) 売主
売主は、クロージングをしたにもかかわらずM&Aの代金が支払われなければ、資金繰りに窮することが容易に想定されます。M&Aの代金が確実に支払われるように契約書の条項をチェックする必要がありますし、仮にM&Aの代金が支払われなければ交渉、仮差押、訴訟などを速やかに行っていく必要があります。
(2) 買主
買主は、クロージング後に前提条件の不充足が判明した場合には、別途、表明保証違反や義務違反を理由に補償請求や損害賠償請求をしていくことを検討することになります。もっとも、これらの請求については、補償金額の上限(株式譲渡価格の何%など)や行使期間(クロージング後1~5年以内など)の条項が設定されることが多く、また、これらの請求を訴訟で行う際には、前提条件の不充足を主張する側が当該不充足を立証しなければならず、その負担も大きいです。
そこで、これらの点を念頭に置き、デューデリジェンスを経てクロージング前に取引実行をするのか、取引実行をせずに離脱するのかを検討し、取引を実行するにしてもリスクが顕在化したときの対応策をあらかじめ検討しておく必要があります。また、クロージング後に前提条件の不充足を発見した場合には、速やかな対応を行うべきです。
R6.11掲載