中小企業の法律相談

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シンガポールへ企業進出する際に知っておくべき労務問題

はじめに

シンガポールは、近年、東南アジアのビジネスセンターとして、金融、貿易、国際会議、国際展示会を中心に発展し、ASEANの中核国としての存在感を強めています。

こうした発展の背景には、シンガポール政府が多国籍企業優遇政策をとる等して、多国籍企業を積極的に受け入れている事実があると言われていますが、現に、日系企業の進出もさかんで、直接投資額も順調に伸びているようです(2013年の直接投資額は約35億4500万ドル)。

こうした傾向は、おそらく今後も続いていくものと思われます。

では、実際に日本の企業がシンガポールへ進出して現地スタッフを雇い入れる場合、どのような点に留意すべきなのでしょうか。

そこで、今回は,シンガポールの労働法制の特徴についてお話ししたいと思います。

シンガポールへ企業進出する際に知っておくべき労務問題

特徴その1:使用者に有利

シンガポールの労働法制は使用者に有利と言われています。

その理由は以下のとおりです。

(1)雇用法の適用対象が限定されている
  1. 雇用法の適用対象となる労働者の範囲が限定的
    シンガポールには、労働者のための基本的な労働条件や、労使間の権利義務を定めた法律として「雇用法」という法律がありますが、管理職、上級職に該当する労働者等には適用されない等、適用される労働者の範囲は限定されています。
    この点、雇用法上の「管理職・上級職」は、日本でいう「管理職」よりも広く解釈されていることに注意が必要です。すなわち、日本でいう「管理職」は、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的立場にある者を指していると解釈されていますが、シンガポールの雇用法における「管理職・上級職」はそれよりも広く解釈されていて、例えば、経営を左右する仕事に関わることのない支店長代理や、マネージャー等であっても、シンガポールの雇用法上「管理職・上級職」に該当する可能性があるのです。
    このように、雇用法が適用される労働者の範囲が限定されていることにより、結果的にシンガポールの労働法制は使用者に有利なものとなっています。
  2. 雇用法の条文ごとに適用範囲が限定
    また、ある労働者について雇用法が適用される場合であっても、必ずしもその労働者に対して、雇用法のすべての条文が適用されるわけではありません。
    例えば、労働者の休日や労働時間、残業代の支払義務等について定めた雇用法4条は、月給が4,500シンガポールドル(約30万円)を超えるワークマンや、月給が2,000シンガポールドル(約13万円)を超える一般労働者には適用されません。※ワークマンというのは、清掃業、建設現場労働者、機械のオペレーター・組立工、電車・バス等の運転手またはその検査係、出来高払いで雇われる労働者等を指します。
    こうした雇用法の条文を踏まえ、使用者としては、一般労働者の賃金を2,000シンガポールドルを超える金額に設定することにより、残業代の支払義務等を発生させないよう工夫することも可能と言えます。
(2)最低賃金の定めがない

シンガポールには最低賃金を定める法律がありません。

労働者の賃金は、基本的には労使間の交渉や合意のみで決められるのです。

(3)普通解雇に理由は不要

シンガポールでは、就業規則や雇用契約等で定めた予告通知期間さえ守っていれば(あるいは、予告通知期間に相当する賃金を支払えば)、一方的な解雇通知によって、理由なく雇用契約を終了させることが出来ます。

すなわち、期間の定めの有無に関係なく、使用者あるいは労働者のいずれからでも、正当事由なく、雇用契約を解除することが出来るのです(ただし、産前産後の休業期間中の解雇や、年齢を理由とする解雇は禁止されています。)。

この点は、客観的に合理的な理由がなければ解雇が認められないとされる日本の労働法制との大きな違いです。

特徴その2:コモン・ローによる制約

一方、シンガポールの労働法制における特徴として、雇用契約等に明示的に謳われていなくても、コモン・ローによる雇用契約上の黙示的な義務を負う場合があることに注意が必要です。

(1)労働者が負う義務

労働者は、たとえ雇用契約上に謳われていなくても、

  1. 合法的かつ合理的な職務命令に従う義務(例えば、配転の業務命令が合法的で合理性があれば、その命令に従う義務)
  2. 必要な能力を有する義務
  3. 注意義務(労働者が、その技能や経験に応じ、その職務遂行において通常要求される注意義務を尽くす義務)
  4. 誠実義務(誠実、善良、忠実に職務を遂行する義務)を負っています
(2)使用者が負う義務

一方、使用者は、雇用契約上に謳われていなくても、

  1. 賃金の支払義務
  2. 解雇手当の支払義務
  3. CPFの支払義務(CPF(中央積立基金)とは、使用者と労働者の双方が、一定の金額を義務的に個人の口座に積み立てる強制貯金制度のこと。具体的には、労働者の賃金から毎月一定割合の金額が天引きされてCPF口座に振り込まれる一方で、使用者も、労働者の月給のうち一定割合の金額を労働者のCPF口座に振り込む義務を負っている)
  4. 注意義務(業務の運営上、適切に職員を配置する義務、安全配慮義務等)
  5. 休暇を与える義務
  6. 補償と弁済を行う義務(労働者が適正な業務の範囲内の活動を行うにあたって、顧客や第三者等に対し損害賠償義務等を負った場合に、使用者が補償等を行う義務)
  7. 組合に加入させる義務(使用者は、労働者が労働組合に加入することを制限してはならず、労働組合に加入しないよう誘導してはならない)
  8. 尊敬、信頼する義務(使用者は、尊敬と信頼の理念に基づいて権利を行使する義務を負っており、暴言やセクシャルハラスメントはかかる義務の違反とされている)を負っています。

最後に

以上のように、シンガポールの労働法制は日本と比べれば、使用者に有利な設計になっていると言えます。

しかし、その一方で、シンガポールではジョブ・ホッピングが一般的で、離職率も高く、優秀な人材が転職する例が多いという実情があります。

したがって、使用者としては、労働法制の有利な面のみに着目することなく、給与・福利厚生等の面で魅力的な職場を作る等、優秀な人材を確保し、その退職を極力抑える努力をすることが必要と言えます。

H27.2掲載

※掲載時点での法律を前提に、記事は作成されております。